曽我時致
曽我時致
曽我兄弟の弟・五郎
1174-1193 · 享年 19歳
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へぇ、と思う三話
頼朝の前で仇討ちの正当性を説いた——20歳の若武者の最期
1193年5月、富士の巻狩りの夜、曽我五郎時致は兄・十郎とともに工藤祐経の陣を急襲して仇討ちを果たした。しかし兄は乱戦で討ち取られ、五郎は単身で源頼朝の宿所に斬り込んだ。頼朝の御所警護の武士たちに取り押さえられた後、五郎は頼朝の面前に引き据えられた。そこで五郎は臆することなく「父の仇を討つのは武士の本分。一点の後悔もない」と堂々と述べたと曽我物語は伝える。頼朝はその胆力に感嘆したとも言われるが、結局五郎は同年に処刑された。享年20。その剛勇は武士の鑑として後世に語り継がれ、能・歌舞伎・浄瑠璃など無数の芸能作品の題材となった。
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生い立ちから最期まで
河津祐泰の次男。幼くして箱根権現に預けられ僧になる予定だったが、兄の十郎とともに父の仇討ちを決意。1193年の富士の巻狩りで兄とともに工藤祐経を討ち取った。その後、源頼朝の宿所にまで斬り込んだが捕らえられ、頼朝の面前で堂々と仇討ちの理由を述べた後、処刑された。享年20。その剛勇ぶりは後世に語り継がれた。
人物像
豪胆で直情径行な若武者。頼朝の前でも臆することなく仇討ちの正当性を主張した。兄の十郎が情の人なら、五郎は勇の人として対比される。
歴史的意義
兄とともに曽我物語の主人公。赤穂浪士・伊賀越えと並ぶ日本三大仇討ちの一つとして語り継がれる。
家系図
?-1176
河津祐泰
工藤祐経に暗殺された。
本人
曽我時致
1174-1193
兄弟
1172-1193
曽我祐成(十郎)
仇討ちの際に戦死。
─ 完 ─
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