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PERSON
蘇我入鹿
蘇我入鹿
蘇我氏の専横
?-645 · 享年 35歳
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生涯
蘇我蝦夷の子として生まれ、祖父・馬子以来三代にわたって蓄積された蘇我氏の権勢を背景に、幼い頃から権力の中枢に身を置いた。父・蝦夷が大臣として朝廷を掌握すると、入鹿はその権力をさらに強化し、皇位継承問題にまで深く介入した。643年、当時最有力の皇位継承者であった聖徳太子の子・山背大兄王を自邸ごと軍勢で包囲し、一族もろとも自害させた。この行為は天皇家に直接手をかけるに等しく、朝廷内外の反感を高めた。また自ら邸宅を「上宮門」「谷宮門」と称させ、父・蝦夷が仮の大臣の証として紫の冠を用いるなど、天皇に準じた振る舞いを示した。これらの専横が中大兄皇子と中臣鎌足の倒蘇我計画を加速させた。645年6月12日、飛鳥板蓋宮で三韓使節の朝貢の儀において、皇極天皇の眼前で中大兄皇子ら一味に斬りかかられ絶命した(乙巳の変)。翌日、父・蝦夷も屋敷に火を放ち自害。蘇我本宗家は滅亡した。
人物像
権力欲が強く、天皇家をも凌ぐ勢いで専横を振るった。自らの邸宅を「上宮門」「谷宮門」と呼ばせるなど、天皇を模した振る舞いが伝えられる。
歴史的意義
蘇我氏滅亡の象徴。乙巳の変は古代日本の最大の政変として知られ、以後の律令国家建設の出発点となった。反面教師として語り継がれる。
逸話・エピソード
乙巳の変——蘇我入鹿の暗殺と大化の改新への道
蘇我入鹿は父・蝦夷とともに蘇我氏の権力の頂点に達し、皇族の山背大兄王を滅ぼすなど専横を極めた。645年に中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足の策謀により、宮中の公式行事中に暗殺された(乙巳の変)。この事件を機に蘇我本家は滅亡し、大化の改新が行われて天皇中心の律令国家体制が構築された。蘇我氏の権威の象徴としてその終焉は日本史の大転換点となった。
─ 完 ─
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