備中国(現岡山県)出身とされ、本名は伊勢盛時(伊勢新九郎)。幕府の申次衆として働いた後、姉が今川義忠の妻であった縁から今川家に仕えた。義忠の死後に起きた今川家の家督争いを調停し、1476年頃に興国寺城(現静岡県沼津市)を拠点として独立した地位を築いた。1491年に伊豆国の堀越公方・足利茶々丸を倒して伊豆を制圧し、1495年(一説に1493年)には大森氏を滅ぼして小田原城を奪取した。以後、相模国経営に乗り出し、下剋上による新興大名の典型として関東に確固たる勢力を築いた。年貢の四公六民など農民を厚遇する政策をとったことでも知られ、領民からの支持を得て支配基盤を安定させた。北条の姓は早雲の孫の代に称するようになったため、生前の彼は「伊勢宗瑞」「伊勢新九郎」と呼ばれた。1519年に88歳(一説に87歳)で没した。