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菅沼定忠
像
菅沼定忠
田峯城の悲劇を招いた田峯菅沼氏当主
?-1582 · 享年 1582歳
ま だ 出 会 っ て い ま せ ん
田峯城を訪れると出会えます
ゆかりの地 1か所
地
菅沼定忠を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
田峯城
愛知県
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生
生涯
三河国田峯城主、田峯菅沼氏5代当主。天正3年(1575年)5月、長篠の戦いで武田勝頼が敗走した際、田峯城で迎えるよう求められたが、留守を預かっていた一族の菅沼定直・家老今泉道善がこれを拒んで入城させず、勝頼は行き場を失った。この一件を恨んだ定忠は翌天正4年(1576年)7月、自ら田峯城を急襲して城内の一族・家臣96人を惨殺し、定直と道善を生け捕って鋸挽きの刑に処したと伝わる。天正10年(1582年)、牧野康成との戦いで討死した。
人
人物像
武田方に付いた一族への忠誠と、自らの城を追われた屈辱への激しい憤りを併せ持ち、身内をも粛清する苛烈さで知られる。
義
歴史的意義
この「田峯城の悲劇」は戦国期の一族内対立の凄惨さを伝える逸話として語り継がれ、田峯城跡(愛知県北設楽郡設楽町)には現在、模擬建築が復元され当時の歴史を伝えている。
深
さらに深く
系
家系図
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─ 完 ─
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