character/[id]

PERSON
杉田玄白
杉田玄白
解体新書の翻訳者・蘭学の父
1733-1817 · 享年 84歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
1733年、若狭国小浜藩(福井県)の藩医の家に生まれた。江戸に出てオランダ医学を学ぶうち、オランダ語の解剖学書「ターヘル・アナトミア」に出会う。1771年3月4日、玄白は前野良沢・中川淳庵とともに小塚原刑場で死刑囚の腑分け(解剖)を見学した。そこで目にした人体の構造が「ターヘル・アナトミア」の図版と一致していることに衝撃を受け、三人はその場で「この書を翻訳しよう」と誓い合った。しかし前野良沢以外、オランダ語は全員がほぼゼロからのスタートだった。辞書も文法書も満足にない中、毎日集まって一文一文格闘する日々が続いた。時に一日かけて一行しか訳せなかったこともあったという。3年余りの苦闘の末、1774年に「解体新書」として刊行された。この書は日本における近代解剖学・西洋医学の礎となり、「蘭学」という学問分野を日本に根付かせる出発点となった。玄白は晩年に「蘭学事始」を著し、翻訳時の苦労と昂奮を鮮やかに回想している。「最初の一歩を踏み出す勇気」——それが玄白の最大の功績だったかもしれない。享年83歳。
人物像
「やってみなければわからない」という行動力の人。オランダ語ゼロから始めた翻訳への挑戦は無謀とも言えたが、その無謀さが日本の医学史を変えた。好奇心旺盛で開放的な知識人。
歴史的意義
「解体新書」は日本の近代医学の出発点。蘭学という学問分野を確立し、その後の福沢諭吉・緒方洪庵らへの影響を通じ、明治維新の思想的基盤の一部を形成した。
逸話・エピソード
腑分けと解体新書——蘭学が日本医学を変えた瞬間
杉田玄白は1771年、小塚原で行われた腑分け(解剖)に立ち会い、持参したオランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」の正確さに驚愕した。この体験が「解体新書」(1774年)の翻訳・出版につながった。前野良沢らと協力して翻訳を完成させた玄白は、その過程を後に「蘭学事始(らんがくことはじめ)」に記し、江戸時代の蘭学の歩みを後世に伝えた。「解体新書」は日本初の本格的な西洋医学書として、近代日本医学の基礎を作った。
名言
「はじめての一歩は、たとえ暗闇の中でも踏み出さなければならない」
「わからぬことをわからぬと言える勇気こそ、学問の第一歩である」
関連する歴史的事件
1774
蘭学の発展(解体新書)
江戸中期以降、オランダ語を通じて西洋の学問(主に医学・天文学・地理学)を研究した学問。8代将軍・徳川吉宗の享保の改革(1720年)で漢訳洋書輸入が緩和されたことで発展。青木昆陽・野呂元丈が吉宗の命でオランダ語を学び、さらに前野良沢・杉田玄白らがドイツ人クルムスの解剖書『ターヘル・アナトミア』を3年半かけて翻訳、1774年『解体新書』全5巻として刊行した。これが本格的な蘭学の出発点となり、玄白の回想録『蘭学事始』(1815年)にその苦労が記される。大槻玄沢(玄白の弟子)が芝蘭堂を開き多くの蘭学者を育成、宇田川玄随、稲村三伯『ハルマ和解』、司馬江漢(西洋画)、平賀源内(エレキテル)、高野長英、渡辺崋山らが続き、幕末の開国・近代化への知的基盤を築いた。
この人物のクイズ
3問のクイズに挑戦
日本史力診断テストで出題されます
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U