1733年、若狭国小浜藩(福井県)の藩医の家に生まれた。江戸に出てオランダ医学を学ぶうち、オランダ語の解剖学書「ターヘル・アナトミア」に出会う。1771年3月4日、玄白は前野良沢・中川淳庵とともに小塚原刑場で死刑囚の腑分け(解剖)を見学した。そこで目にした人体の構造が「ターヘル・アナトミア」の図版と一致していることに衝撃を受け、三人はその場で「この書を翻訳しよう」と誓い合った。しかし前野良沢以外、オランダ語は全員がほぼゼロからのスタートだった。辞書も文法書も満足にない中、毎日集まって一文一文格闘する日々が続いた。時に一日かけて一行しか訳せなかったこともあったという。3年余りの苦闘の末、1774年に「解体新書」として刊行された。この書は日本における近代解剖学・西洋医学の礎となり、「蘭学」という学問分野を日本に根付かせる出発点となった。玄白は晩年に「蘭学事始」を著し、翻訳時の苦労と昂奮を鮮やかに回想している。「最初の一歩を踏み出す勇気」——それが玄白の最大の功績だったかもしれない。享年83歳。