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推古天皇
像
推古天皇
初の女帝
554-628 · 享年 74歳
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驚
へぇ、と思う三話
其 一
推古天皇と聖徳太子——女性天皇と摂政による国家改革
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推古天皇は593年に即位した日本史上初の女性天皇(実質的に)だった。甥の聖徳太子を摂政に任命し、冠位十二階・十七条憲法の制定、遣隋使の派遣など飛鳥時代の国政改革を推進した。仏教を国家の基軸とする政策も推し進め、飛鳥文化の開花をもたらした。「天皇」という称号の使用が定まったのもこの時期とされる。
其 二
仏教公伝——欽明天皇と仏教の日本伝来
欽明天皇の治世(539〜571年)には、百済の聖明王から仏像・経典が献上され、日本への仏教の公式伝来(仏教公伝、552年または538年)が行われた。仏教の受け入れをめぐって蘇我氏(受容派)と物部氏(排仏派)の対立が起き、この後の政治史を大きく規定した。欽明天皇自身は仏教に好意的な態度をとり、日本の文化・宗教史の転換点を生きた天皇として知られる。
其 三
敏達天皇と仏教論争——蘇我・物部の仏教対立の深化
敏達天皇の治世(572〜585年)は、蘇我馬子と物部守屋の仏教受容をめぐる対立が深まった時期だった。天皇自身は仏教に距離を置いていたとされるが、蘇我氏の力が増す時代に在位した。敏達天皇の死後、後継者争いを経て用明・崇峻・推古と続く天皇位継承の過程で、蘇我氏が権力を確立していく転換期の天皇として位置づけられる。
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深
さらに深く
生
生涯をくわしく
生い立ちから最期まで
日本初の女性天皇(在位593-628年)。欽明天皇の皇女として生まれ、敏達天皇の皇后となった後、崇峻天皇暗殺を受けて即位した。甥の聖徳太子(厩戸皇子)を摂政に立て、蘇我馬子とともに三者が協力して中央集権的な国家体制を整えた。603年の冠位十二階制度、604年の十七条憲法の制定など日本初の成文法的規範を打ち立て、仏教の国家的保護・普及を推進した。対外的には607年に小野妹子を遣隋使として派遣し、対等外交を試みた(「日出づる処の天子…」の国書)。在位期間は35年に及び、飛鳥文化の黄金期を主導した。628年に75歳で崩御。
人
人物像
強い意志と柔軟な洞察力を持つ政治家。男性中心の朝廷社会で毅然と君臨し、聖徳太子・蘇我馬子という二人の実力者を巧みに調整しながら大改革を推し進めた。仏教への深い信仰心でも知られる。
義
歴史的意義
日本初の女性天皇として、後の女帝即位の先例を開いた。冠位十二階・十七条憲法・遣隋使派遣は律令国家形成の礎となり、仏教公認は飛鳥文化繁栄の基盤となった。
系
家系図
親
父
509-571
欽明天皇
第29代天皇。仏教公伝の時代に在位。
本
本人
推古天皇
554-628
言
名言と逸話
其 四
冠位十二階と十七条憲法——聖徳太子の国家体制整備
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聖徳太子は603年に冠位十二階を制定して氏族制によらない人材登用の仕組みを作り、604年に十七条憲法で仏教・儒教精神に基づく国家理念を定めた。遣隋使派遣による中国文化の積極的摂取と外交対等の実現も行った。日本初の本格的な成文法・官位制度を整備し、古代日本の律令国家形成の礎を築いた。
記
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日
日本初の女性天皇——推古天皇と聖徳太子の国家改革
593年に即位した推古天皇は、日本史上初の本格的な女性天皇とされる。甥の聖徳太子を摂政に任命し、冠位十二階・十七条憲法・遣隋使派遣など飛鳥時代の国家改革を推進した。仏教を国の基軸に据え飛鳥文化を開花させた、古代日本の転換点を解説する。
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和
「和をもって貴しとなす」——冠位十二階と十七条憲法
推古天皇の時代、聖徳太子は603年に「冠位十二階」、604年に「十七条憲法」を制定した。家柄でなく能力で人材を登用する仕組みと、「和をもって貴しとなす」で始まる役人の心得。古代日本に「国家」という枠組みをもたらしたこれらの制度を、分かりやすく解説する。
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─ 完 ─
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