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PERSON
鈴木大拙
鈴木大拙
禅を世界に広めた仏教学者
1870-1966 · 享年 96歳
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生涯
1870年、加賀国金沢(現・石川県金沢市)の医師・鈴木良準の四男として生まれた。本名・貞太郎。第四高等中学校で西田幾多郎と同級となり生涯の親友となる。1891年、東京帝国大学に学籍を置きつつ鎌倉の円覚寺で今北洪川・釈宗演に参禅、「大拙(だいせつ)」の居士号を得た。1893年、師の釈宗演がシカゴ万国宗教会議で演説する際に英訳を担当。1897年、釈宗演の推薦で渡米し、イリノイ州ラサールの出版社オープン・コート社で編集・翻訳を11年間担当。この間、英文・独文・サンスクリット・漢文に精通し、東西思想を架橋する独自の視座を確立。1909年帰国、東京帝国大学講師、学習院教授を経て1921年から大谷大学教授(1960年まで)として仏教学を講じた。1927年『Essays in Zen Buddhism』(英文)を刊行、西洋で初めて禅を本格的に紹介。1936年ロンドン、戦後は1949-1958年にコロンビア大学客員教授として欧米で講演・執筆を続け、エーリッヒ・フロム、トーマス・マートン、ジョン・ケージら欧米知識人に深い影響を与えた。『日本的霊性』『禅と日本文化』『大乗仏教概論』等著書多数。1966年、鎌倉で95歳で没。
人物像
穏やかにして鋭い洞察の持ち主。東西思想を自在に行き来し、「禅とは何か」を西洋の知的言語で語ることを生涯の使命とした。英語の著作で禅を説明する際、単なる翻訳ではなく、西洋哲学との対比で禅独自の論理を浮かび上がらせる独自の方法を用いた。95歳の長寿を全うし、最晩年まで執筆・講演を続けた知的耐久力。米国人の妻ベアトリスと深い絆で結ばれ、英語の論文はしばしば妻との共著であった。
歴史的意義
大拙の英文著作群は、戦後世界における「禅ブーム」の直接の引き金となった。1950年代アメリカの「ビート・ゼン」運動(ジャック・ケルアック・アレン・ギンズバーグ等)、ジョン・ケージの音楽、ル・グィンのSF、スティーブ・ジョブズの思想まで、その影響は広大かつ深遠。心理学者エーリッヒ・フロムの『禅と精神分析』、トラピスト修道士トマス・マートンの著作、アーノルド・トインビーの歴史学にも大拙の影響が色濃く残る。日本哲学・仏教研究の西洋への紹介者として20世紀後半に比類のない存在。金沢市の鈴木大拙館は、彼の生誕地に建つ記念館として内外の訪問者を集める。鎌倉の東慶寺墓地に葬られた。
逸話・エピソード
1897年——渡米、11年間の米国生活
1893年のシカゴ万国宗教会議で釈宗演の英訳を担当した大拙は、会議で知り合った出版人ポール・ケーラスの招きで1897年に渡米。イリノイ州ラサールのオープン・コート社で『老子』『大乗起信論』などアジア哲学書の英訳を行った。米国滞在中、東洋哲学のみならず西洋哲学・神智学・プラグマティズムも吸収。1909年の帰国時には、英語・ドイツ語・サンスクリット・漢文・パーリ語を駆使して東西思想を論じられる世界でも稀有な学者となっていた。この11年間が後に禅を世界に広める基盤となった。
1927年——『Essays in Zen Buddhism』で西洋に禅を伝える
1927年、大拙はロンドンのルザック社から『Essays in Zen Buddhism』(First Series)を刊行。これは西洋で初めて本格的な禅の学術書として受け入れられ、第2、第3シリーズと続刊された。大拙は禅を「神秘主義」ではなく「宗教的体験に基づく直接的真理探究」として提示、西洋キリスト教神秘主義やウィリアム・ジェームズの宗教経験論と対話可能な形で説明した。この著作によりロンドンの法律家クリスマス・ハンフリーズが感化されてロンドン仏教会を設立、若きアラン・ワッツが弟子となった。戦後の「禅ブーム」の起点となった記念碑的著作である。
─ 完 ─
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