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PERSON
鈴木梅太郎
鈴木梅太郎
世界初のビタミン発見者
1874-1943 · 享年 69歳
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生涯
1874年、静岡県榛原郡の農家に生まれた。東京帝国大学農科大学で農芸化学を学び、ドイツ・ベルリン大学に留学してエミール・フィッシャー教授に師事。1906年に帰国、東京帝大教授となった。当時、日本で深刻な問題であった脚気(ビタミンB1欠乏症)の原因究明に取り組み、1910年、米ぬかから有効成分の抽出に成功、「アベリ酸」と命名、後に「オリザニン」と改名した。これは世界最初のビタミン発見であった。しかし論文を日本語で発表したため、1911年にポーランドの化学者カジミール・フンクが英語で「ビタミン」として発表した成果に先取権を奪われた。その後も農芸化学の発展に貢献、理研で副所長を務め、合成清酒の開発なども行った。1943年没、享年69。
人物像
農民の子らしい誠実さと粘り強さを持った地道な研究者。国内問題の解決を第一に考える実学志向で、脚気という日本の国民病に真正面から取り組んだ。論文を日本語で発表したのも、第一の読者を日本の農民・医師と考えたがためであった。
歴史的意義
オリザニンの発見は、ビタミンという概念そのものを生み出した画期的業績である。世界初であったにもかかわらずフンクに先取権を奪われた悲劇は、日本の科学者がもっと積極的に国際発信すべきだという教訓として語り継がれている。日本では脚気が20世紀前半まで国民病であり、海軍・陸軍で多くの兵士を苦しめた。オリザニンの発見とその後の食生活改善により脚気は激減し、梅太郎は間接的に数百万人の命を救ったと言える。静岡県牧之原市には顕彰施設がある。
逸話・エピソード
1910年——米ぬかからの発見
白米食による脚気の多発は当時の日本の国民的課題であり、海軍軍医・高木兼寛の食事改善実験などから「白米に何かが不足している」ことは知られていた。梅太郎は玄米の外皮、すなわち米ぬかに注目、そこから水溶性の活性物質の抽出に取り組んだ。1910年、ついに脚気を予防する成分の分離に成功し、「アベリ酸」(後にオリザニン)と命名。動物実験で明確な効果を証明した。これは後にビタミンB1(チアミン)と呼ばれるものであり、世界最初のビタミン発見であった。
フンクとの先取権争い——日本語論文の悲劇
1911年、ポーランド人化学者カジミール・フンクがロンドンで類似物質を発見、「vitamine(生命アミン)」と命名し英語で発表した。梅太郎は1910年に日本語でオリザニンを発表していたが、国際学界はフンクを発見者と認めた。後に1912年、オリザニンがドイツ語論文として発表されたが、時既に遅し。梅太郎の発見は世界初であったが、「論文は国際共通語で発表せよ」という教訓となった。日本科学界の痛切な経験として語り継がれている。
─ 完 ─
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