1874年、静岡県榛原郡の農家に生まれた。東京帝国大学農科大学で農芸化学を学び、ドイツ・ベルリン大学に留学してエミール・フィッシャー教授に師事。1906年に帰国、東京帝大教授となった。当時、日本で深刻な問題であった脚気(ビタミンB1欠乏症)の原因究明に取り組み、1910年、米ぬかから有効成分の抽出に成功、「アベリ酸」と命名、後に「オリザニン」と改名した。これは世界最初のビタミン発見であった。しかし論文を日本語で発表したため、1911年にポーランドの化学者カジミール・フンクが英語で「ビタミン」として発表した成果に先取権を奪われた。その後も農芸化学の発展に貢献、理研で副所長を務め、合成清酒の開発なども行った。1943年没、享年69。