寛政6年(1794年)、浜松藩主・水野忠光の長男として生まれた。1834年に老中となり、1841年には老中首座に就任して天保の改革を断行した。奢侈禁止・物価抑制・風俗取締などを内容とする倹約令を出し、人返し令で江戸に流入した農民を農村に帰還させ、株仲間の解散を命じた。また上知令(上地令)で江戸・大坂周辺の大名・旗本領を幕府直轄地にしようとしたが、大名・旗本の強力な反発に遭い、1843年に失脚した。天保の改革は三大改革の中で最も短命で、わずか2年余りで終わった。1845年に老中に復帰したが再び失脚し、1851年に没した。享年58歳。