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PERSON
平教経
平教経
平家最強の猛将
1160-1185 · 享年 25歳
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生涯
1160年、平清盛の甥にあたる平教盛の嫡男として生まれた。弓の達人にして平家随一の猛将と称えられ、その勇名は源氏陣営にも轟いていた。1184年の一ノ谷の戦いではその武勇を発揮し、1185年の屋島の戦いでは船上から弓を放って義経の守り役・佐藤継信を射殺し、追い詰めた義経が逃げ回る場面でその武威は絶頂に達した。同年の壇ノ浦の決戦では、ただ一人義経を討ち取ることだけを目的に鬼神のごとく奮戦した。義経が次々と船から船へ飛び移って逃れた「八艘飛び」の伝説は、教経の猛追が前提として生まれた逸話である。最期は戦況の絶望を悟ると降伏を潔しとせず、「一人でも多く道連れに」と叫んで源氏の武者二人を左右の脇に抱え込んだまま海中に飛び込み壮絶な最期を遂げた。享年26歳。『平家物語』は教経を平家方最強の武人として描き、その最期の場面は古典の名場面として現代まで伝わる。
人物像
勇猛果敢にして武芸に秀でた猛将。義経を宿敵と定め、最後まで挑み続けた執念の武人。豪胆さと武人としての誇りを兼ね備えていた。
歴史的意義
義経の「八艘飛び」伝説と対をなす平家側の英雄として、武勇の象徴となった。『平家物語』の壇ノ浦の場面で最も印象的な武将である。
逸話・エピソード
義経を追い詰めた「八艘飛び」伝説の生みの親
壇ノ浦の戦いで教経はただ義経の首を取ることだけを目的に鬼神のごとく奮戦した。義経は教経の猛追を逃れるため、船から船へ次々と飛び移った——これが「八艘飛び」の伝説である。平家物語は教経が最後に「一人でも多く道連れに」と源氏の武者二人を左右の脇に抱え込んだまま海へ飛び込んだと描く。
─ 完 ─
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