1152年、平清盛の四男として生まれた。平家一門の中でも特に冷静沈着な武将として知られ、感情に流されず戦局を見極める判断力に優れていた。1183年の木曾義仲追討戦に参加し、その後も各地で活躍した。1184年の一ノ谷の戦いでは奇襲を受けて大敗し、平家は西国への撤退を余儀なくされた。敗戦後も水軍の指揮官として平家の残存戦力を率い、屋島の合戦でも戦い続けた。1185年、壇ノ浦の最終決戦では源氏水軍と死闘を繰り広げたが、平家の将兵が次々と海に身を投じる中、知盛は最後まで戦場を統率した。すべての戦機を使い果たした後、「見るべきほどの事は見つ」(見るべきものはすべて見た)と言い残し、鎧の上に碇の綱を巻きつけて海中に飛び込み壮烈な最期を遂げた。享年34歳。その最期は能『船弁慶』や歌舞伎『義経千本桜』に亡霊として登場し、平家滅亡の象徴として後世に語り継がれている。