「乱世の一輪の花」——763名の玉砕が九州の趨勢を変えた
天正14年(1586年)7月、島津方の大軍に岩屋城を包囲された高橋紹運は、降伏すれば助命するという勧告を拒み、わずか763名の兵と共に半月にわたって籠城戦を戦い抜いた。最終的に城兵は一人残らず討ち死にしたが、この抵抗により島津軍の九州制覇は大きく足止めされ、豊臣秀吉の平定軍が態勢を整える時間を稼ぐことになった。落城後、紹運の首を検分した島津方の武将たちは、その忠義と武勇を惜しんで涙したと伝わる。息子の立花宗茂はこの報を受けながらも立花山城を守り抜き、後に「西国一の侍」と称えられる名将へと成長していった。