1894年、高峰は麹菌(アスペルギルス)から強力な消化酵素の抽出に成功し、これを「Taka-Diastase」と名付け米国で特許を取得した。パーク・デイビス社との独占契約により商品化、爆発的な売上を記録した。日本の伝統的発酵文化である「麹」を近代科学で分析し、世界市場で売れる医薬品に変えた発想の転換が鍵であった。この事業の成功が後にアドレナリン研究の資金基盤となり、理研設立の構想にもつながっていく。
1900年夏、高峰と助手の上中啓三は、ウシの副腎髄質から抽出液を作り、結晶状の物質を得ることに成功した。彼らはこれを「アドレナリン」と命名、翌1901年に特許を取得した。これは20世紀で最初に単離されたホルモンであり、生化学史上の画期的業績となった。米国のエイベルが類似物質「エピネフリン」を先に発表したが、純粋結晶化に成功したのは高峰が先であり、特許裁判でも高峰の優先権が認められた。現代の救急現場で使われるエピペンの祖先がここに生まれた。
1913年、ニューヨークで成功していた高峰は帰国し、日本に純粋科学を研究する機関の必要性を訴えた。彼の構想と渋沢栄一ら財界人の協力により1917年、理化学研究所(理研)が設立された。高峰自身は理研初代副総裁となり、基礎科学振興の礎を築いた。戦後、理研は湯川秀樹の中間子理論や朝永振一郎のくりこみ理論など多くのノーベル賞級研究を生み出す舞台となる。高峰の「日本にも欧米と同等の研究機関を」という夢が、20世紀後半の日本科学の黄金時代を準備したのである。