1893年(明治26年)、茨城県山王村(現・取手市)に生まれた。旧制水戸中学・第一高等学校を経て東京帝国大学医学部に進み、法医学を専攻。東京帝大助教授、新潟医科大学教授、奈良県立医科大学教授などを歴任する傍ら、高浜虚子に師事して俳句に打ち込んだ。昭和初期、水原秋桜子・阿波野青畝・山口誓子とともに「ホトトギス四S」と称され、客観写生の純粋な実践者として注目を浴びた。虚子の提唱する「花鳥諷詠」を最も忠実に継承した俳人の一人とされ、自然の細部を凝視した名句を多数残した。戦後は新潟に長く住み、のち奈良に移った。1976年10月4日、奈良で没した。享年83歳。