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PERSON
高野素十
高野素十
ホトトギス「四S」の一人・客観写生の俳人
1893-1976 · 享年 83歳
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生涯
1893年(明治26年)、茨城県山王村(現・取手市)に生まれた。旧制水戸中学・第一高等学校を経て東京帝国大学医学部に進み、法医学を専攻。東京帝大助教授、新潟医科大学教授、奈良県立医科大学教授などを歴任する傍ら、高浜虚子に師事して俳句に打ち込んだ。昭和初期、水原秋桜子・阿波野青畝・山口誓子とともに「ホトトギス四S」と称され、客観写生の純粋な実践者として注目を浴びた。虚子の提唱する「花鳥諷詠」を最も忠実に継承した俳人の一人とされ、自然の細部を凝視した名句を多数残した。戦後は新潟に長く住み、のち奈良に移った。1976年10月4日、奈良で没した。享年83歳。
人物像
寡黙で謹直、法医学者としての厳密さを俳句にも持ち込んだ人物。華美を嫌い、自然を静かに見つめ続けた。俳壇の政治とは距離を置き、ひたすら句作に専念した。
歴史的意義
「四S」の中で最も虚子の客観写生理念を純粋に体現した俳人として、後の伝統俳句の拠り所となった。平明簡素な作風は現代の初学者にも愛されている。取手市には「高野素十文学資料室」が設けられている。
逸話・エピソード
ホトトギス「四S」
昭和初期、高浜虚子主宰の「ホトトギス」誌上で頭角を現した四人の若手俳人——水原秋桜子(Shuoshi)、阿波野青畝(Seiho)、山口誓子(Seishi)、高野素十(Sujyu)——は、名の頭文字がすべてSで始まることから「四S」と称された。素十はその中でも最も客観写生に忠実な作風で知られ、虚子の後継者の一人と目された。
医学と俳句の両立
素十は生涯を通じて法医学者としての職務を全うし、大学教授を退官するまで俳句は余技として続けた。しかしその「余技」の句業は膨大な数にのぼり、緻密な観察と厳密な写生は法医学者としての目が育てた、ともいわれる。
─ 完 ─
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