1552年頃、摂津高槻城主の家に生まれた。父・高山図書の影響で幼少期にキリスト教に入信し、洗礼名はジュスト(ジュスティノ)。高槻城主として領内のキリスト教布教を保護し、宣教師を手厚く庇護した。千利休に師事し利休七哲の一人に数えられた。1587年の秀吉のバテレン追放令に際しては信仰を守るため高槻の領地を自ら放棄し、前田利家の庇護のもと加賀で暮らした。しかし1614年の徳川家康によるキリシタン追放令により国外追放となり、フィリピンのマニラへ渡った。長旅と高齢の体にマニラの気候は酷く、到着からわずか40日後の1615年2月に病死した。63歳。2017年2月にフィリピンで福者に列せられた。