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PERSON
武田信繁
武田信繁
古典厩
1525-1561 · 享年 36歳
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生涯
1525年(大永5年)、甲斐武田氏当主・武田信虎の次男として生まれた。兄は後の武田信玄。父・信虎は弟の信繁を溺愛し家督を譲ろうとしたが、1541年に信玄が父を追放して当主となった。信繁は兄に反旗を翻すことなく、忠実な副将として武田軍団を支え続けた。官位の左馬助にちなみ「古典厩」と称された。1558年(永禄元年)、嫡男・信豊に「武田信繁家訓」全99ヶ条を授けた。武士の心得を説くこの家訓は後世広く読まれ、名著として評価された。1561年(永禄4年)9月10日、第四次川中島の戦いにおいて、上杉軍の猛攻から信玄の本陣を守るため奮戦し壮絶な戦死を遂げた。享年37。信玄は弟の死を深く悲しみ、以後の戦いに大きな影響を与えたとされる。
人物像
温厚篤実にして文武両道。家督を継げる立場にありながら兄を立て、忠義を貫いた理想的な補佐役。家臣からの人望は信玄以上とも言われた。
歴史的意義
「武田信繁家訓」99ヶ条は江戸時代を通じて武士の修養書として広く読まれ、信繁は「真の武将」の理想像とされた。真田昌幸が次男に「信繁」と名付けたのは、この武田信繁への敬慕からと言われる。
逸話・エピソード
川中島に散った「もう一人の武田」
1561年9月10日、第四次川中島の戦い。上杉謙信が「車懸かりの陣」で武田本陣に直接襲いかかった。信繁は本陣の左翼を守る任に就き、信玄に使者を送って「私がここで敵を食い止めますので、兄上は勝つ策をお考えください」と伝えた。そして黒髪と陣旗を形見として嫡男・信豊に渡すと、「武田典厩信繁、ここにあり!」と名乗りを上げて上杉軍に突撃した。壮絶な戦いの末、銃撃を受け、上杉方の宇佐美定行の槍に倒れた。その死を知った信玄は深く嘆き、「信繁の代わりとなる者はいない」と語ったという。
─ 完 ─
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