1525年(大永5年)、甲斐武田氏当主・武田信虎の次男として生まれた。兄は後の武田信玄。父・信虎は弟の信繁を溺愛し家督を譲ろうとしたが、1541年に信玄が父を追放して当主となった。信繁は兄に反旗を翻すことなく、忠実な副将として武田軍団を支え続けた。官位の左馬助にちなみ「古典厩」と称された。1558年(永禄元年)、嫡男・信豊に「武田信繁家訓」全99ヶ条を授けた。武士の心得を説くこの家訓は後世広く読まれ、名著として評価された。1561年(永禄4年)9月10日、第四次川中島の戦いにおいて、上杉軍の猛攻から信玄の本陣を守るため奮戦し壮絶な戦死を遂げた。享年37。信玄は弟の死を深く悲しみ、以後の戦いに大きな影響を与えたとされる。