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PERSON
滝川一益
滝川一益
織田の関東管領代
1525-1586 · 享年 61歳
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生涯
1525年頃、近江か伊賀の出身と伝わる。出自については諸説あるが、鉄砲の名手として織田信長に仕え、重用された。北伊勢12万石の大名となり、関東支配のために上野厩橋(現・前橋市)に派遣された。信長が滝川一益を関東管領代として任命したことは、信長の天下布武の重要な一翼であった。1582年の本能寺の変の時、一益は関東に在国していた。信長横死の報を受けて急ぎ上方に戻ろうとしたが、北条氏と神流川の戦いで大敗を喫し、関東での地位を失った。秀吉との天下を競う立場にはなれず、柴田勝家に与したが賤ヶ岳の戦いで敗れた。その後、秀吉に降伏して1万石程度に減封された。1586年に61歳で没した。信長の天下統一事業において重要な役割を担ったが、本能寺の変という歴史の転換点で大きな打撃を受けた武将であった。
人物像
勇猛で積極的な武将。鉄砲の扱いに秀で、信長の革新的な軍事戦略を支えた。本能寺の変後の迅速な行動は積極性を示すが、神流川での敗北はその限界を示した。
歴史的意義
滝川一益の関東管領代就任は織田信長の関東支配の試みとして重要な意義を持つ。神流川の戦いは北条氏の関東における支配力の強さを示す歴史的事件として位置づけられている。
逸話・エピソード
本能寺後の天下争い——信孝・秀吉の間で翻弄された関東管領代の最期
滝川一益は1582年の本能寺の変の直前、信長から関東管領代(上野厩橋城主)を命じられ、関東進出を担っていた。変の報を受け急いで帰国しようとしたが、神流川の戦いで北条氏直の大軍に敗れ、関東の領地を失った。帰国後は清須会議(柴田・秀吉の主導権争い)に参加したが、1583年の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家とともに秀吉に敗れた。晩年は秀吉の臣下として服属し、伊勢長島5万石を領した後に1586年に没した。信長家臣団の中でも特に壮絶な浮き沈みを経験した武将として歴史に名を残す。
─ 完 ─
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