本能寺後の天下争い——信孝・秀吉の間で翻弄された関東管領代の最期
滝川一益は1582年の本能寺の変の直前、信長から関東管領代(上野厩橋城主)を命じられ、関東進出を担っていた。変の報を受け急いで帰国しようとしたが、神流川の戦いで北条氏直の大軍に敗れ、関東の領地を失った。帰国後は清須会議(柴田・秀吉の主導権争い)に参加したが、1583年の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家とともに秀吉に敗れた。晩年は秀吉の臣下として服属し、伊勢長島5万石を領した後に1586年に没した。信長家臣団の中でも特に壮絶な浮き沈みを経験した武将として歴史に名を残す。