文明17年(1485年)生まれ。宇都宮頼綱の四男・多功宗朝を祖とする多功氏の当主で、下野宇都宮氏の一門として多功城(下野国河内郡、現・上三川町)を本拠とした。多功城は小山・薬師寺方面から宇都宮に至る要路上にあり、宇都宮城南方防衛の要であった。永禄元年(1558年)、会津の蘆名盛氏と結んだ上杉謙信の大軍が上野国から下野国に侵攻し宇都宮城攻略を狙って多功城を攻めたが、長朝は自ら軍を率いて奮戦しこれを撃退。先陣を務めた佐野豊綱をはじめ多くの敵将を討ち取り、上杉軍を上野国白井まで敗走させた(多功ヶ原の戦い)。長朝はこの年のうちに没したとされる。