1573年、但馬国出石(現・兵庫県豊岡市)に生まれた。臨済宗大徳寺派の僧として修行を積み、大徳寺の住持に就任した高僧。1629年の「紫衣事件」では、朝廷が従来の慣例に従って高僧に紫衣着用を許可したのに対し、幕府が事前申請を義務づける法度を新たに定めて多くの僧を処罰した。沢庵は幕府に公然と抵抗する建白書を提出したため出羽国上山に流罪となった。しかし3代将軍家光に帰依されて赦免され、家光の深い信任を得た。家光の求めに応じて品川に東海寺を開山した。茶道史においては千利休・古田織部との交流も深く、武道においては柳生宗矩に剣と禅の一致を説いた『不動智神妙録』を著し、大きな影響を与えた。1645年に73歳で没した。「沢庵漬け」の名の由来とする俗説でも広く知られる。