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PERSON
谷崎潤一郎
谷崎潤一郎
耽美派の巨匠
1886-1965 · 享年 79歳
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生涯
1886年、東京市日本橋区蛎殻町(現・東京都中央区)の活版印刷業を営む中流商家に生まれた。府立一中から第一高等学校を経て東京帝国大学国文科に進んだが授業料未納で中退。在学中の1910年、同人誌『新思潮』第二次を創刊し、処女作『刺青』『麒麟』を発表、永井荷風の激賞を受けて一躍文壇に認められた。初期は西洋志向の耽美派・悪魔主義で知られ、『悪魔』『お艶殺し』『痴人の愛』(1924-25年)など女性への倒錯した憧憬と被虐美を描いた。1923年の関東大震災を契機に関西へ移住、以後本格的に日本古典美に回帰。『卍』(1928-30年)『蓼喰ふ虫』(1928-29年)『春琴抄』(1933年)『陰翳礼讃』(随筆、1933-34年)『武州公秘話』(1931-35年)と日本的美意識の深奥を掘り下げた傑作を次々と発表。戦中戦後の1943-48年に大阪船場の旧家四姉妹の四季を描いた大河小説『細雪』を完成、戦後文学の最高峰と評された。戦後は『少将滋幹の母』(1949-50年)『鍵』(1956年)『瘋癲老人日記』(1961-62年)と晩年まで旺盛に執筆、老いと性をめぐる先鋭な問いを投げ続けた。1965年、湯河原の自宅で79歳で没。『源氏物語』の現代語訳も三度にわたり完成させた(谷崎源氏)。
人物像
美に対する徹底した執着、特に女性美・伝統美・闇に対する深い憧憬が作品全体を貫く。西洋志向から日本古典への劇的転換を果たす柔軟性、老いと共に衰えるどころか深化する感性、そして何度でも新しい愛に燃え上がる情熱家。結婚は三度、二度目の妻を友人の佐藤春夫に譲る「細君譲渡事件」(1930年)も文壇を騒がせた。
歴史的意義
日本近代文学における耽美派・日本回帰の頂点として、川端康成・三島由紀夫ら後続世代に決定的影響を与えた。『細雪』『春琴抄』『痴人の愛』『陰翳礼讃』は今も海外で広く読まれる。1964年アメリカ芸術院名誉会員に日本人で初選出、ノーベル文学賞の有力候補でもあった。兵庫県芦屋市の谷崎潤一郎記念館が生涯を伝える。
逸話・エピソード
1923年——関東大震災が人生を変える
1923年9月1日の関東大震災で横浜の洋館が壊滅的被害を受け、谷崎は家族とともに関西へ避難。当初は一時的移住の予定だったが、京阪の女性や風土、上方ことばの美しさに魅せられ、そのまま永住を決意。「もし震災がなかったら、自分は生涯、西洋かぶれのまま終わっただろう」と後に述懐。関西移住後の作品群(『蓼喰ふ虫』『春琴抄』『細雪』など)はすべて関西の言葉と美意識が核となっており、日本文学史上最大の「都落ち」がもたらした僥倖であった。
『陰翳礼讃』——日本美の宣言
1933-34年、雑誌『経済往来』に連載された随筆『陰翳礼讃』で谷崎は、西洋の明るさ・清潔さに対して、日本の「陰翳(かげ)」の美学——漆器・蒔絵・紙障子・厠の暗がり・女性の化粧の白——を宣言した。「もし日本に西洋とは違う独自の文明があるとしたら、それは陰翳の中にある」という核心思想は、20世紀日本美論の双璧として世界の建築家・デザイナーに読み継がれている。
─ 完 ─
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