享保4年(1719年)、下級旗本の家に生まれた。将軍・徳川家重に小姓として仕え、その寵愛を受けて出世した。1772年には側用人から老中に昇進し、幕政の実権を掌握した(田沼時代)。重商主義的な経済政策を推進し、株仲間の公認・拡大、銅座・真鍮座の設置、印旛沼・手賀沼の干拓事業、蝦夷地(北海道)の開発調査など積極的な政策を展開した。貨幣経済の活性化と海外との貿易促進にも取り組んだ。一方で賄賂政治の横行で「賄賂の田沼」と批判され、天明の飢饉や浅間山噴火が重なって社会不安が高まった。1786年に将軍・家治が没すると失脚し、翌年には領地を没収された。田沼時代の革新的な経済政策は、近代的な発想を持つ先進的な政治家として近年再評価されている。