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PERSON
田沼意次
田沼意次
田沼時代・重商主義
1719-1788 · 享年 69歳
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生涯
享保4年(1719年)、下級旗本の家に生まれた。将軍・徳川家重に小姓として仕え、その寵愛を受けて出世した。1772年には側用人から老中に昇進し、幕政の実権を掌握した(田沼時代)。重商主義的な経済政策を推進し、株仲間の公認・拡大、銅座・真鍮座の設置、印旛沼・手賀沼の干拓事業、蝦夷地(北海道)の開発調査など積極的な政策を展開した。貨幣経済の活性化と海外との貿易促進にも取り組んだ。一方で賄賂政治の横行で「賄賂の田沼」と批判され、天明の飢饉や浅間山噴火が重なって社会不安が高まった。1786年に将軍・家治が没すると失脚し、翌年には領地を没収された。田沼時代の革新的な経済政策は、近代的な発想を持つ先進的な政治家として近年再評価されている。
人物像
実利主義的で革新的な発想を持つ政治家。出自の低さを乗り越えて出世したことで、柔軟な思考と現実主義的な判断力を身につけた。従来の農業重視の幕府政策を転換し、商業・貿易を重視する斬新な経済政策を推進した。賄賂の受領は当時の慣習でもあったが、その大胆な利権操作が多くの批判を招いた。
歴史的意義
田沼時代の経済政策は日本史上最初の重商主義的政策として評価され、近代的な経済発展の萌芽を見る歴史家もいる。蝦夷地調査や印旛沼干拓など、後の北海道開拓や農地整備の先駆けとなった施策も多い。「賄賂政治」というイメージは後世に誇張された面もあり、革新的な政治家として再評価が進んでいる。
逸話・エピソード
田沼意次の重商主義——賄賂政治と経済近代化の先駆
田沼意次は10代将軍・徳川家治の側用人から老中となり、重商主義政策を推進した。株仲間(商業独占組合)の公認による税収増・銅の専売・印旛沼・手賀沼の干拓・蝦夷地開発計画など積極的な経済政策を行った。しかし賄賂政治として批判を受け、家治の死後に失脚した。経済近代化の先駆者として再評価される一方、当時の悪政の象徴でもある複雑な歴史的人物。
─ 完 ─
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