生没年・出身地など詳しい経歴が謎に包まれた天才絵師。京都で「俵屋」という扇絵・料紙などを手がける絵屋を営んでいたとされ、大徳寺や豊国神社の修復事業にも携わった。本阿弥光悦と出会い、「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」など光悦の書の下絵を担当する協働作品を多数制作した。やがて独自の画風を確立し、「風神雷神図屏風」(建仁寺蔵)・「源氏物語関屋澪標図屏風」など大胆な構図と豊かな装飾性を持つ傑作を次々と生み出した。絵の具を乾かないうちに重ねる「たらし込み」技法を完成させたことでも知られ、この技法は後世の琳派に受け継がれた。その革新的な視覚表現は後の尾形光琳に多大な影響を与え、日本美術史上に燦然と輝く存在となっている。