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PERSON
藤堂平助
藤堂平助
新選組八番隊組長
1844-1867 · 享年 23歳
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生涯
北辰一刀流の剣士で、試衛館の塾頭も務めた。文久3年(1863年)に上洛し、新選組の八番隊組長に就任した。若くして優れた剣才を持ち、池田屋事件にも参戦した。慶応3年(1867年)、北辰一刀流の師である伊東甲子太郎が新選組を脱退して御陵衛士(高台寺党)を結成すると、藤堂も伊東に従って離脱した。しかし同年11月18日夜、伊東甲子太郎が新選組に暗殺された後、その遺体を引き取りに来た藤堂ら御陵衛士は油小路で新選組の待ち伏せに遭い、藤堂は戦死した。享年23。
人物像
若く情熱的で義理堅い性格。師・伊東甲子太郎への忠義を貫いて新選組を去り、最後は師の遺体を守ろうとして命を落とした。
歴史的意義
師への義理と若い死が後世の人々の共感を呼ぶ。油小路事件は新選組の内部対立と幕末の無情さを象徴する出来事として語り継がれている。
逸話・エピソード
伊東甲子太郎の暗殺——油小路事件と御陵衛士の悲劇
藤堂平助は1867年に伊東甲子太郎らとともに新選組から分離して「御陵衛士(高台寺党)」を結成した。しかし同年11月、伊東甲子太郎が新選組に誘い出されて暗殺された(油小路事件)。藤堂は伊東の遺体を引き取ろうとした際に新選組の待ち伏せに遭い、斬られて戦死した。享年推定23歳。かつての仲間に囲まれて斃れた藤堂の死は、幕末の人間関係の複雑さを象徴する出来事として語り継がれている。
関連する歴史的事件
1864
池田屋事件
1864年(元治元年)6月5日深夜、京都三条小橋の旅館・池田屋(現在の京都府京都市中京区)に潜伏していた尊王攘夷派志士を、新選組が急襲した事件。近藤勇・沖田総司・土方歳三らが率いる新選組は、長州藩を中心とした志士約30名と激闘を繰り広げ、吉田稔麿・望月亀弥太ら複数の志士を討ち取った。長州藩はこの一報を聞いて京都奪還を目指し、翌月の禁門の変を起こすが惨敗。新選組はこの活躍で名声を高め、幕府方の治安維持部隊として確固たる地位を確立した。現在、池田屋跡地は居酒屋チェーン店となっており、当時の間取りを模した内装でその歴史を伝えている。
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ゆかりの地 — 1
油小路事件跡(光縁寺付近)
京都府
藤堂平助は師・伊東甲子太郎の遺体を引き取ろうとして油小路の待ち伏せに遭い、23歳の若さで命を落とした。新選組の旧同僚に囲まれながら散った死は、幕末の義と無情さを象徴している。
─ 完 ─
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