薩摩国鹿児島(現鹿児島市)の下級藩士の家に生まれる。1868年の戊辰戦争では薩摩藩士として戦い、その後政府の命により英国に留学した(1871-1878年)。帰国後は海軍に入り、日清戦争(1894-1895年)では浪速艦長として活躍、中立国イギリスの船籍を持つ高陞号を撃沈する決断を行って国際法上の問題を処理した。1903年に連合艦隊司令長官に就任し、日露戦争開戦時にはポートアーサー(旅順)口への奇襲攻撃を指揮した。1905年5月、日本海海戦(対馬沖海戦)においてロシアのバルチック艦隊を「T字戦法」で迎え撃ち、世界海戦史上空前の完全勝利を収めた。この勝利は世界的センセーションを巻き起こし、東郷は欧米で「ネルソン以来最大の海軍提督」と称された。日露講和後は軍令部長などを歴任し、1913年に元帥に昇進。晩年は昭和天皇の教育係も務めた。1934年に87歳で東京にて没した。