薩摩藩(鹿児島県)出身。戊辰戦争に藩士として参加した後、イギリスに7年間留学して近代海軍を学んだ。日清戦争では艦長として高陞号事件で国際法に基づいた判断を示し、国際的評価を高めた。日露戦争(1904-1905年)では連合艦隊司令長官に任命された。旅順艦隊封じ込め作戦を実施した後、ヨーロッパから回航してきたロシアのバルチック艦隊を1905年5月27日の日本海海戦で迎え撃った。丁字戦法(T字戦法)により敵艦隊を完膚なきまでに殲滅し、世界の海軍史上稀に見る完全勝利を収めた。「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」のZ旗信号は今も語り継がれる。この勝利はアジア諸国に多大な希望を与えた。元帥海軍大将として海軍の精神的支柱となり、1934年に87歳で没した。ネルソン・ドレークと並ぶ世界三大提督の一人と称えられ、「東洋のネルソン」として世界に名を轟かせた。東郷神社(東京都渋谷区)には今も多くの参拝者が訪れ、入学試験や受験シーズンには「勝利の神」として受験生の信仰を集めている。