土岐頼春
土岐頼春
万喜城主・上総土岐氏最大版図の当主
生没年不詳(16世紀後半に活動)
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ゆかりの地 1か所
土岐頼春を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
万喜城
千葉県
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生涯
生没年不詳。上総国夷隅郡の国人・万喜城主土岐為頼の子。父は永禄7年(1564)の第二次国府台合戦を機に里見氏から後北条氏へ転じた。天正7年(1579)家督を譲られ万喜城主となる。天正16年(1588)〜同18年(1590)、里見義康の3度の攻勢(万喜・長南合戦)をすべて撃退し、上総土岐氏最大の版図を築いた。しかし天正18年(1590)の小田原征伐では後北条方だったことが仇となり、徳川方・本多忠勝の攻撃で万喜城は落城。頼春は抵抗するも敗れ、その後の消息は不明で自害したとも伝わる。この敗北で上総土岐氏は滅亡した。
人物像
里見氏の3度の攻勢をすべて撃退した点から実戦に長けた武将だったことがうかがえるが、小田原征伐では時流を読み違え後北条方にとどまり一族滅亡を招いた。
歴史的意義
万喜城跡は現在いすみ市の史跡として整備され、落城時の焼米が出土した米蔵跡が伝わる。
─ 完 ─
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