生没年は不詳だが、平安時代末期に都随一の美女として名声を博し、近衛天皇の中宮に女房として仕えた才媛。源義朝の側室となり、今若(後の阿野全成)・乙若(後の円仏)・牛若(後の源義経)の三人の子を産んだ。1159年の平治の乱で義朝が敗北して尾張で殺されると、常盤は厳冬の中、幼い三人の子を連れて都から逃亡した。しかし平家方が常盤の母を人質にとったため、子供たちの命を守るために止む無く清盛の前に出頭した。清盛はその絶世の美貌に心を動かされ、常盤を側室に迎える条件で三人の子供たちの命を助けたとされる。その後清盛の側室となった期間を経て、一条長成と再婚した。三人の息子の内、義経は7歳で鞍馬寺に預けられ、後に日本史に名を刻む武将へと成長した。全成も僧籍に入り後に頼朝の下に参じた。常盤自身の最期については諸説あって不明である。