北条時氏の次男として1227年に生まれた。1246年、19歳で五代執権に就任した。就任翌年の宝治合戦(1247年)では有力御家人・三浦泰村の一族を鎌倉法華堂で滅ぼし、北条得宗家の権力基盤を確固たるものとした。1249年には引付衆を新設して御家人の訴訟・裁判処理を迅速化し、幕府の行政機能を大幅に向上させた。また蒙古(元)からの最初の国書が届く前年に宋への使節を送るなど、外交にも積極的に取り組んだ。信仰面では鎌倉に来日した中国僧・蘭渓道隆を招いて建長寺を創建(1253年)し、禅宗の普及を支援した。1256年、37歳で出家して最明寺入道と号し、名目上は執権職を長時に譲ったが実権は握り続けた。諸国を巡って民の実情を視察したという伝説が「鉢の木」の物語として今も語り継がれる。1263年、36歳(没年36歳説・37歳説あり)の若さで病没した。禅と律の両方を愛した敬虔な仏教信者であり、その仁政は後世に高く評価される。