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PERSON
徳川光圀
徳川光圀
水戸黄門
1628-1701 · 享年 73歳
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生涯
徳川家康の孫にあたる水戸藩第2代藩主。幼少期は放蕩な生活を送ったが、中国の史書『史記』の伯夷・叔斉の列伝を読んで深く感動し、「大義」の重さを悟って学問に目覚めた。藩主就任後は「大日本史」の編纂事業を開始し、全国に学者を派遣して史料を収集した。この事業は藩の財政を圧迫するほどの規模に発展したが、それでも続行したことが水戸学の基礎を築いた。尊王思想を重んじ、神社・仏閣の整備にも取り組んだ。農政改革を実施して領民の生活向上にも努め、名君として広く語り継がれた。隠居後も黄門として編纂指導を続けたが、全214巻の完成は死後250年を経た1906年(明治39年)であった。後世「水戸黄門」として諸国漫遊の義民救済伝説が生まれ、テレビドラマは長寿国民的番組となった。幕末の尊王攘夷思想にも多大な影響を与えた。彼の編纂した「大日本史」は後の尊王攘夷思想の礎となり、幕末の志士たちに多大な影響を与えた歴史的な大事業であった。
人物像
若き日の放蕩から一転して学問に没頭した情熱家。正義感が強く、民の暮らしに心を配った名君として知られる。儒学を重んじ、大義名分を貫く姿勢は水戸学の精神そのものであった。
歴史的意義
「大日本史」編纂を通じて水戸学を確立し、尊王思想の源流となった。水戸黄門伝説は江戸時代から現代まで日本人に愛され、テレビドラマは国民的番組となった。
逸話・エピソード
大日本史の編纂——「水戸黄門」が生涯を捧げた歴史事業
徳川光圀は1657年から「大日本史」の編纂事業を開始し、水戸藩の彰考館を設立して全国から学者を集めた。この事業は光圀の死後も約250年間続き、完成は1906年にまで及んだ。光圀自身は『万葉集』研究にも貢献し、ラーメンを日本で最初に食べた人物とも伝わる。晩年は西山荘(現茨城県常陸太田市)に隠居し、諡号「義公」として尊ばれた。テレビ時代劇「水戸黄門」で有名だが、史実の光圀は旅などしておらず、大日本史の編纂こそが生涯の主業であった。
─ 完 ─
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