生没年は一次史料で確定できず推定。上野国の武将・小山高朝の次男として生まれ、初名を小山重朝といった。富岡氏の当主・富岡秀親の跡を継いで富岡秀高(対馬守)を名乗り、上野国小泉城主となった。永禄10年(1567年)、北条氏康に通じて北条方に属し、以後は北条氏の吾妻・邑楽方面における有力国衆として活動した。天正6年(1578年)の御館の乱では上杉景虎の救援に赴き、天正9年(1580年)には駿河で武田氏と交戦。天正11年(1583年)の沼尻の合戦では佐竹義重・佐野宗綱勢の攻撃をことごとく撃退し、北条氏から感状を受けた。天正18年(1590年)の小田原征伐に際しては新田金山城の守備にあたったと伝わる。