character/[id]

PERSON
前田利家
前田利家
加賀百万石の祖
1538-1599 · 享年 61歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
天文7年(1538年)、尾張国荒子村に生まれた。幼少期から織田信長に仕え、その槍術の腕から「槍の又左」と呼ばれた。1560年に一時出奔したが信長に赦免され、以降多くの合戦で活躍した。信長の死後は豊臣秀吉の五大老のひとりとなり、加賀・能登・越中を支配する100万石を超える大大名となった(加賀藩)。秀吉の死後は五大老として徳川家康と並ぶ有力者となったが、1599年に没した。享年62歳。茶道・武芸・政治のバランスのとれた名将として知られ、加賀の文化的発展にも大きく貢献した。前田家は江戸時代を通じて外様大名最大の勢力を誇った。妻・まつ(芳春院)は賢夫人として名高い。
人物像
豪快な武人の一面と、文化的な洗練さを兼ね備えた人物。「槍の又左」の異名が示す通り、戦場では勇猛果敢であったが、平時は茶道や芸術への造詣も深かった。仁義を重んじ、家臣や民衆への思いやりも厚かった。信長・秀吉という強力な主君に仕えながら、自らの地位をうまく保ち、加賀藩の礎を築いた政治的バランス感覚も優れていた。
歴史的意義
加賀藩(石川県)は前田家が築いた100万石の大藩として江戸時代を通じて存続し、現在の金沢の文化的豊かさの礎となった。金沢の兼六園・金沢城は前田家の遺産として現在も観光地として人気が高い。前田家は徳川将軍家への遠慮から故意に文化や学問に力を入れたとも言われ、加賀文化の高さはその産物である。
逸話・エピソード
前田利家と「加賀百万石」——秀吉の盟友から五大老・豊臣政権の柱へ
前田利家は若き日から織田信長に仕え、槍の名手として活躍した。豊臣秀吉とは兄弟のように親しい仲で、加賀・能登・越中三ヶ国で百万石を超える大大名となった。秀吉の死後には五大老の一人として豊臣政権の維持を担い、徳川家康と対立した。1599年に利家が死去すると、東軍と西軍の対立が表面化して翌年の関ヶ原の戦いに至った。「利家亡くして天下定まらず」と言われた。
ゆかりの地 — 1
氣多大社
石川県
天正9年(1581年)、織田信長配下の前田利家が能登一国を拝領すると、利家とその子孫の加賀藩前田家は氣多大社の篤い庇護者となった。前田家の援助により本殿・拝殿・神門ほか5棟が造営され、これらは現在国指定重要文化財として残る。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U