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PERSON
タウンゼント・ハリス
タウンゼント・ハリス
日米修好通商条約を締結した初代駐日米国総領事
1804-1878 · 享年 74歳
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生涯
1804年、ニューヨーク州に生まれた。実業家として成功した後、1856年に初代駐日アメリカ合衆国総領事に任命され、伊豆下田の玉泉寺に領事館を構えた。当初は幕府から冷遇され、孤独な生活を強いられたが、粘り強い交渉を続けた。1858年、大老・井伊直弼のもとで日米修好通商条約(ハリス条約)を締結。この条約は関税自主権の欠如や領事裁判権(治外法権)の承認など不平等な内容を含み、日本の近代外交における最大の課題となった。一方でハリスは日本を心から賞賛し、日本の独立を守ろうとする姿勢も見せた。下田滞在中に世話をした日本人女性「お吉」(唐人お吉)の悲劇的な生涯は、後に小説・芝居の題材として有名になった。1862年に離日し、1878年にニューヨークで74歳で没した。
人物像
粘り強く信念を貫く外交官。孤独な環境でも任務を遂行する不屈の精神を持つ。日本文化への敬意と母国の国益追求の間で葛藤しながらも、誠実な姿勢で交渉に臨んだ。
歴史的意義
日米修好通商条約は不平等条約であったが、日本の開国と近代化の転換点となった。条約改正は明治政府の最重要外交課題となり、1911年の完全改正まで半世紀以上を要した。お吉の悲話は日本文学・演劇の名作として語り継がれている。
逸話・エピソード
玉泉寺での孤独な日々
1856年8月、ハリスは下田の玉泉寺に米国総領事館を開設した。しかし幕府は彼を歓迎せず、交渉を引き延ばし続けた。ハリスは体調を崩しながらも、通訳のヒュースケンとともに孤独な生活を送り、日記に「世界で最も孤独な場所」と記した。それでも彼は諦めず、1857年にはついに江戸城での将軍・家定との謁見を実現させた。この粘り強さが、やがて条約締結という歴史的成果に結びつくことになる。
お吉の悲劇——異文化の狭間に散った女性
幕府はハリスの世話をさせるため、下田の芸者・斎藤きち(お吉)を彼のもとに送った。お吉はわずか3日間(異説もある)でハリスのもとを去ったが、「唐人お吉」として外国人に身を寄せた女として偏見の目にさらされ続けた。その後の人生は不遇を極め、晩年は貧困のうちに下田の稲生沢川で入水自殺したとされる。お吉の悲劇は、開国の犠牲となった一人の女性の物語として小説・映画・歌舞伎などで繰り返し取り上げられてきた。
日米修好通商条約の締結——不平等条約の原点
1858年7月29日、ハリスは大老・井伊直弼のもとで日米修好通商条約に調印した。この条約は神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)の開港、江戸・大坂での通商許可を定めた。しかし関税自主権の欠如と領事裁判権の承認という不平等条項を含んでおり、以後の安政五カ国条約(英仏蘭露との条約)の雛形ともなった。条約改正は明治日本の悲願となり、陸奥宗光による1894年の治外法権撤廃、小村寿太郎による1911年の関税自主権回復まで半世紀以上を要した。
名言
「孤独と困難の中にあっても、使命を果たす意志は揺るがない」
「条約とは二国間の信頼の証である。力ではなく誠意で結ばれるべきものだ」
ゆかりの地 — 1
玉泉寺
静岡県
安政3年(1856年)8月、初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスは下田の玉泉寺に日本初のアメリカ領事館を開設した。ハリスはこの寺に約1年半滞在し、日本側との粘り強い交渉を重ねた。孤独な環境の中で病にも苦しみながらも、安政5年(1858年)に日米修好通商条約の締結に成功し、日本の本格的な開国と近代外交の道を開いた。
この人物のクイズ
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