1924年、佐吉57歳の時、畢生の発明「無停止杼換式豊田自動織機(G型自動織機)」が完成。糸が切れると自動的に機械が停止する「糸切れ自動停止装置」、杼(シャトル)内の緯糸がなくなると無停止で自動的に新しい杼と交換する画期的機構を持ち、1人で最大50台の織機を操作できる驚異的生産性を実現した。当時の英国・米国の織機を凌駕する世界最高性能で、1929年には世界最大の織機メーカー・英国プラット・ブラザーズ社がG型織機の特許権を10万ポンド(当時約100万円、現在の価値で数十億円)で購入。これは日本の機械工業が初めて欧米先進国に「技術を売った」歴史的事件となった。売却代金は息子・喜一郎の自動車事業創業資金となり、G型織機は「トヨタの源流」として豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)の本社工場に現在も保存されている。
1930年10月30日、佐吉は63歳で病床にあり、長男・喜一郎(36歳)を枕元に呼んで遺言した。「これからは自動車の時代だ。自動車を発明してみよ。トヨタの将来は、お前にかかっている」。当時の日本の自動車市場は米国フォード・GMの完全な独占下にあり、日本メーカーによる自動車製造は夢想に近かった。だが喜一郎は父の遺志を受け、1933年豊田自動織機製作所内に自動車部を設立、1935年「A1型試作乗用車」完成、1936年「AA型乗用車」量産開始、1937年8月28日「トヨタ自動車工業株式会社」として独立させた(社名の「トヨタ」は佐吉の姓「豊田」のカタカナ表記で、画数が末広がりの8画となるため縁起が良いとされた)。戦後、孫・豊田英二(社長)らの時代を経て、トヨタは世界最大級の自動車メーカーに成長した。佐吉の遺言は、3世代にわたってトヨタグループを動かす原動力となった。