1540年、秀吉の異父弟として尾張国に生まれた。幼名は小一郎、後に秀長と名乗った。兄・秀吉が織田家に仕えて台頭し始めると、早くからその側に立ち続け、墨俣一夜城の築城から中国攻め・四国征伐・九州征伐まで主要な戦役で軍団を率いた。軍事のみならず内政・外交にも優れた手腕を発揮し、秀吉政権の実質的な管理者として屋台骨を支えた。大和郡山に100万石近い大領を持ち「大和大納言」と称された。誰に対しても公平で温厚篤実な人柄は諸大名からの厚い信望を集め、秀吉が暴走しそうな場面では率直に諫言できる唯一の存在だった。1591年に51歳で病没すると、秀吉政権は求心力を急速に失い、朝鮮出兵・秀次事件など悲劇的な末路へと向かった。