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PERSON
坪内逍遥
坪内逍遥
近代日本文学の父・小説神髄著者
1859-1935 · 享年 76歳
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生涯
美濃国加茂郡太田宿(現・岐阜県美濃加茂市)に生まれる。東京大学文学部を卒業後、近代日本文学の理論的基礎を確立した。1885年に「小説神髄」を著し、小説は社会的・道徳的な教訓を伝える道具ではなく、人間の内面の真実を写実的に描くものであるという「写実主義」の理念を提唱した。これは江戸時代以来の勧善懲悪文学からの決別を宣言するものであり、近代日本文学の出発点となった。同時期に自ら小説の実践として「当世書生気質」(1885年)を著した。また、シェイクスピアの全37作品(当時の数)を日本語に翻訳するという40年に及ぶ大事業を完成させ(1884-1928年)、日本の演劇・文学教育に多大な貢献をした。早稲田大学文学部の発展にも大きく尽力し、後進の育成にも情熱を注いだ。1906年に文芸協会を設立し、近代劇の普及にも力を尽くした。晩年は熱海で過ごし、1935年に76歳で生涯を閉じた。その「写実主義」の提唱は、二葉亭四迷・尾崎紅葉・幸田露伴ら多くの後進に大きな影響を与えた。
人物像
学究的で理論的な思考の持ち主。文学の社会的役割を深く考え、写実主義という革新的な理念を体系的に提唱した。シェイクスピア翻訳という40年の大事業を完遂する粘り強さと情熱を持つ。
歴史的意義
「小説神髄」は近代日本文学の理念的出発点として文学史に燦然と輝く。シェイクスピア全訳は今なお「逍遥訳」として知られ、日本のシェイクスピア受容の礎となった。早稲田大学の文学・演劇教育の基礎を築いた功績は大きい。
逸話・エピソード
「小説神髄」——坪内逍遥と日本近代文学の夜明け
坪内逍遥は1885〜86年に「小説神髄」を著し、小説は「人情の妙」を写実的に描くべきであり、勧善懲悪・政治的主張のための道具ではないと主張した。これが日本近代文学の転換点となった。シェイクスピア全集の日本語訳にも40年以上を費やし、日本の演劇・文学教育の近代化に多大な貢献をした。早稲田大学文学部の創設にも関わった。
─ 完 ─
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