津軽為信
津軽為信
津軽統一の梟雄・弘前藩初代藩主
1550-1608 · 享年 58歳
ま だ 出 会 っ て い ま せ ん
浪岡城跡を訪れると出会えます
ゆかりの地 6か所
へぇ、と思う三話
一日で二城を落とす——石川城と和徳城の急襲
元亀2年(1571年)5月5日、為信は南部方の要衝・石川城を奇襲で攻略すると、その勢いを駆って同日のうちに和徳城も三方から急襲した。和徳城では城主以下約140人の城兵が一人残らず討死したと伝わる。この大胆な二城同日攻略が南部氏からの独立戦争の幕開けとなった。
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生い立ちから最期まで
天文19年(1550年)に生まれたとされる(出自には異説も多い)。永禄10年(1567年)に大浦氏の養子となり、大浦城主・南部氏配下の一豪族としての地位を継いだ。元亀2年(1571年)5月5日、南部氏の重臣・石川高信が守る石川城を奇襲して攻略し、同日のうちに和徳城も三方から急襲して落城させるという奇策で南部氏からの独立の狼煙を上げた。以後、天正3〜4年(1575〜76年)に大光寺城、天正6年(1578年)に浪岡城、天正13年(1585年)に油川城と外が浜一帯を次々と攻略し、津軽三郡をほぼ手中に収めた。天正18年(1590年)、小田原征伐に参陣して豊臣秀吉に謁見し、南部氏から独立した大名として所領を安堵された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与し、津軽藩(弘前藩)の初代藩主となった。慶長12年(1608年)、京都で没した。享年58(数え年)。
人物像
南部氏の一支族という立場から実力でのし上がった野心家。奇襲・調略を駆使する戦術眼に優れ、同日に2城を落とすなど大胆な軍事行動で知られる一方、豊臣政権との外交では旧主・南部氏に先んじて上洛し独立を勝ち取るなど、抜け目のない政治的嗅覚も併せ持っていた。
歴史的意義
為信が築いた津軽藩は江戸時代を通じて存続し、弘前城・弘前の城下町として現在も津軽地方の中心をなす。南部氏の支配下にあった津軽地方を実力で切り取り独立させた「津軽統一」の立役者として、青森県内の多くの城跡・史跡にその足跡が刻まれている。
─ 完 ─
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