天文19年(1550年)に生まれたとされる(出自には異説も多い)。永禄10年(1567年)に大浦氏の養子となり、大浦城主・南部氏配下の一豪族としての地位を継いだ。元亀2年(1571年)5月5日、南部氏の重臣・石川高信が守る石川城を奇襲して攻略し、同日のうちに和徳城も三方から急襲して落城させるという奇策で南部氏からの独立の狼煙を上げた。以後、天正3〜4年(1575〜76年)に大光寺城、天正6年(1578年)に浪岡城、天正13年(1585年)に油川城と外が浜一帯を次々と攻略し、津軽三郡をほぼ手中に収めた。天正18年(1590年)、小田原征伐に参陣して豊臣秀吉に謁見し、南部氏から独立した大名として所領を安堵された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与し、津軽藩(弘前藩)の初代藩主となった。慶長12年(1608年)、京都で没した。享年58(数え年)。