1563年、丹羽長秀の家臣の家に生まれ、やがて豊臣秀吉に直接仕える武将となった。千利休・古田織部の両師に茶を学び、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)では槍一本で武功を挙げながらも茶の湯を嗜む文武両道の武将として知られた。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に属して戦ったが戦後は赦免され、その後は浅野家に仕えて広島藩の家老となった。広島への定住後は茶の湯に専念し、武人としての豪快な気概と繊細な茶人の感性を融合させた「上田宗箇流」を創始した。広島藩の名勝・縮景園の作庭にも深く携わったとされる。1650年に88歳の長寿を全うして没した。