享禄3年(1530年)、越後守護代・長尾為景の四男として春日山城に生まれた。幼名は虎千代。7歳で林泉寺に入り、天室光育に学んで禅と学問に励んだ。兄・晴景に代わって19歳で家督を継ぎ、越後統一を成し遂げた。永禄4年(1561年)に関東管領・上杉憲政から上杉姓と関東管領職を譲り受け、以後「上杉政虎」「輝虎」を経て「謙信」と号した。武田信玄との川中島の戦いは5度にわたり、特に永禄4年の第四次川中島では一騎討ちの伝説を生んだ。北条氏・武田氏との抗争でも屈することなく、関東・北陸へと遠征を重ねた。「義」を重んじ、窮地の敵・武田に塩を送った逸話でも知られる。生涯不犯を貫き、毘沙門天を篤く信仰して「毘」の旗を掲げた。天正6年(1578年)3月13日、春日山城内で倒れ、49歳で急逝した。死因は脳溢血とされる。辞世「四十九年一睡夢 一期栄華一盃酒」は、軍神の生涯を凝縮した絶唱として今に伝わる。