上杉憲政
上杉憲政
関東管領・平井城主
1523-1579 · 享年 56歳
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1 ヶ所
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平井城
群馬県
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生涯
大永3年(1523年)生まれ。山内上杉氏の家督と関東管領職を継ぎ、上野国平井城を居城とした。天文15年(1546年)の河越夜戦で北条氏康に大敗し、3000余の将兵を失って平井城へ敗走。以後も北条氏の圧迫を受け続け、天文21年(1552年)に平井城が落城すると、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って逃れた。永禄4年(1561年)、鎌倉鶴岡八幡宮において景虎に上杉の姓と関東管領職を譲り、「上杉政虎」と名乗らせた。これが「上杉謙信」誕生の契機となった。天正6年(1578年)、謙信の死後に勃発した御館の乱では養子・上杉景虎方に与し、天正7年(1579年)3月18日、御館において57歳で討死した。
人物像
名門・山内上杉氏の当主としての誇りを保ちながらも武運に恵まれず、たびたび敗戦を重ねた。しかし後継者選びにおいては景虎(謙信)の器量を見抜き、関東管領の権威を託した。
歴史的意義
平井城は廃城となったが、憲政から謙信への上杉姓・関東管領職の継承は、以後の関東戦国史を大きく動かす転換点となった。
さらに深く
家系図
本人
上杉憲政
1523-1579
養子
1530-1578
上杉謙信(長尾景虎)
憲政から上杉姓と関東管領職を譲られた。
─ 完 ─
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