天文11年(1542年)、後北条氏3代当主・北条氏康の三男として生まれた。弘治2年(1556年)頃、武蔵滝山城主・大石定久の養子となり「大石源三氏照」を名乗って由井領を継承、永禄2年(1559年)に由井城(後の滝山城)に入城した。永禄5年(1562年)には三田氏の旧領・勝沼領も併合し、武蔵北部から下野方面への北条氏の拠点を担った。永禄7年(1564年)の下野出兵に際しては、滝山城の支城・滝の城(現・埼玉県所沢市)で軍勢の召集(陣揃え)を行った記録が残る。永禄12年(1569年)に武田信玄の侵攻で滝山城が攻撃されたのを機により堅固な八王子城の築城を進め、本拠を移した。下総関宿城・下野諸城の攻略で北条氏の関東制圧を主導したが、天正18年(1590年)の小田原征伐で小田原城に籠城。開城後の7月11日、兄・氏政とともに切腹を命じられ、49歳で没した。