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PERSON
宇喜多秀家
宇喜多秀家
備前宰相
1572-1655 · 享年 83歳
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生涯
1572年、備前国岡山城主・宇喜多直家の嫡男として生まれる。1581年に父が病死すると、わずか10歳で広大な備前・美作・備中の領国を継いだ。秀吉はこの有力大名の後継者を手厚く庇護し、自らの猶子(養子に準じる関係)とした。1584年には秀吉の養女で前田利家の四女・豪姫を正室に迎え、秀吉政権の中枢に深く取り込まれた。やがて57万4千石の大々名として五大老(徳川家康・前田利家・毛利輝元・小早川隆景・宇喜多秀家)の一角を占め、政権の柱石となった。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)にも出陣し武功を立てた。関ヶ原の戦い(1600年)では石田三成・大谷吉継らと西軍を組み、宇喜多勢1万7千の兵を率いて奮戦したが、小早川秀秋の裏切りで形勢が逆転し敗走。薩摩の島津氏を頼って落ち延びた後、1603年に八丈島への流罪となった。島では農業を営みながら50年余りの余生を静かに送り、1655年に83歳で没した。戦国大名の中で特筆すべき長寿を誇った。
人物像
秀吉に忠実な直情型の武将。豊臣家への恩義を最後まで忘れず、関ヶ原では敗色濃厚な中で最後まで戦い抜いた。島流し後も泰然自若として余生を過ごした。
歴史的意義
関ヶ原西軍の中核として最後まで戦い抜いた忠義の将。八丈島で83歳まで生きた数奇な運命は、戦国武将の中でも異彩を放つ。現在も八丈島には秀家の墓と顕彰碑がある。
逸話・エピソード
宇喜多秀家と関ヶ原——西軍大将の流罪と長寿
宇喜多秀家は豊臣秀吉に引き立てられ、秀吉の養女を正室に迎えた五大老の一人だった。関ヶ原では西軍の実質的な総大将として参加したが敗北し、薩摩の島津家に匿われたのち、1603年に八丈島へ流罪となった。島では農業を営みながら50年以上生き、1655年に84歳で没した。戦国大名でありながら江戸時代を生き延びた異例の人物として知られる。
─ 完 ─
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