character/[id]

PERSON
宇喜多直家
宇喜多直家
備前の梟雄
1529-1582 · 享年 53歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
1529年、備前国(岡山県)の豪族・宇喜多家に生まれた。祖父・能家が主家の浦上村宗に謀殺された後、父と共に流浪の生活を余儀なくされた。父の死後、再び浦上氏に仕えながら、類まれな野心と冷酷さで頭角を現した。義父・中山信正を謀殺し、義兄の財を奪うなど身内にも容赦なく、「陰謀の人」として戦国随一の梟雄と称される。1567年頃には主家・浦上宗景を実質的に傀儡化し、備前・美作・播磨の一部を掌握する大名に成り上がった。下剋上の完成である。暗殺・密使・政略結婚など使える手段は全て使い尽くした権謀術数の権化だが、反面、内政には意外に長けており、検地・治水・新田開発などを進めて領民の生活を安定させた。1575年に信長に臣従し、1577年からは毛利氏との戦いで秀吉の中国攻めに協力。しかし1582年に病死し、息子・秀家が後を継いだ。享年53歳頃。宇喜多直家の居城・岡山城は後に秀家により大改修されて今の姿になり、現代でも「烏城」として岡山市のシンボルとなっている。
人物像
暗殺と謀略の天才で、義父や主君すら手にかけた冷酷さを持つ。一方で領国経営には長けており、領民には善政を敷いたとも伝わる。戦国の梟雄の中でも最も暗い影を持つ人物。
歴史的意義
松永久秀・斎藤道三と並ぶ「戦国三大梟雄」の一人。息子の秀家は豊臣五大老の一人となり、直家の成り上がりの頂点を迎えた。下剋上の時代を最も体現した人物の一人。
逸話・エピソード
謀殺と姻戚外交——備前の梟雄が乱世を生き抜いた処世術
宇喜多直家は主君を次々と謀殺・毒殺して勢力を拡大したとされ、「備前の梟雄」と呼ばれた。島村盛実を茶会に招いて暗殺したのをはじめ、複数の主君・盟友を謀略で排除したとされる。一方で姻戚外交も巧みで、毛利・織田・豊臣の間で巧妙に立場を変え、最終的に秀吉に臣従して所領を安堵された。その外交手腕は戦国随一の現実主義者と評価される。息子・秀家が関ヶ原で西軍に属し八丈島に流されたのとは対照的に、直家自身は乱世を巧みに生き抜いた。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U