生年不詳(1150年頃)、仏師・康慶の長子として慶派(奈良仏師)の名門に生まれた。父・康慶に師事して彫刻技法を体得し、若くして慶派を代表する仏師となった。従来の定朝様(平安後期に確立した穏やかで優雅な作風)を大胆に革新し、力強くリアルな肉体感と精神的緊張感を備えた新様式を打ち立てた。東大寺復興の一環として1203年に完成した南大門の金剛力士像(阿形・吽形)は快慶との合作で、わずか69日で二体を完成させたと伝わる。それぞれ高さ約8.4メートル、日本最大の木彫仏像として国宝に指定されている。興福寺の無著菩薩・世親菩薩像(1212年頃)は生きた人間を目の前で捉えたかのごとき写実表現で、肖像彫刻の頂点ともいわれる。東大寺大仏の手・薬師寺の弥勒仏など多数の仏像を制作し、源頼朝・足利義兼ら武家の強力な支援を受けた。1224年頃に没。彫刻の革新者として日本美術史上最高の仏師の一人に数えられる。