生年は不詳。岩付城主・太田資正の四男(五男とも)で、大宮の在地領主・潮田氏に婿入りし母方の姓「潮田」を名乗った。永禄3年(1560年)頃、岩付城の支城として現在のさいたま市大宮区に寿能城を築き、その初代城主となった。永禄7年(1564年)に父・資正が兄・氏資によって岩付城を追放された後は、氏資に従い後北条氏の傘下に入った。天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が始まると北条方として小田原城に籠城し、同年4月18日、子の資勝とともに小田原城で討死した。これにより寿能城・岩付城もほどなく落城した。子孫は後に三河国挙母藩に仕え、元文3年(1738年)には子孫の手により寿能城跡に資忠を偲ぶ碑が建てられている。