潮田資忠
潮田資忠
寿能城を築いた太田家の武将
?-1590 · 享年 1590歳
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ゆかりの地 1か所
潮田資忠を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
寿能城
埼玉県
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生涯
生年は不詳。岩付城主・太田資正の四男(五男とも)で、大宮の在地領主・潮田氏に婿入りし母方の姓「潮田」を名乗った。永禄3年(1560年)頃、岩付城の支城として現在のさいたま市大宮区に寿能城を築き、その初代城主となった。永禄7年(1564年)に父・資正が兄・氏資によって岩付城を追放された後は、氏資に従い後北条氏の傘下に入った。天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が始まると北条方として小田原城に籠城し、同年4月18日、子の資勝とともに小田原城で討死した。これにより寿能城・岩付城もほどなく落城した。子孫は後に三河国挙母藩に仕え、元文3年(1738年)には子孫の手により寿能城跡に資忠を偲ぶ碑が建てられている。
人物像
築城の才に長けた武将で、父・資正の勢力拡大を支えた。父が追放された後も一族の存続のため現実的に北条氏に従うなど、状況判断に優れた人物だったとされる。
歴史的意義
彼が築いた寿能城は現在、大宮公園の一部として市街地に埋もれているが、埼玉県指定旧跡としてその存在が伝えられている。父子で小田原城に散った最期は、後北条氏滅亡に殉じた家臣団の一例として記憶される。
さらに深く
家系図
1522-1591
太田資正
岩付城主。永禄7年に嫡男氏資に追放された。
本人
潮田資忠
?-1590
─ 完 ─
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