character/[id]

PERSON
和田常盛
和田常盛
和田義盛の長男
?-1213 · 享年 33歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
和田義盛の長男として生まれた。父・義盛は源頼朝以来の宿老で初代侍所別当を務め、幕府の軍事を統括する有力御家人であった。常盛は父の下で武将として成長し、各地の合戦にも従軍した。しかし頼朝の死後、北条義時が台頭するにつれ和田氏との摩擦は激化した。1213年、義盛の甥・胤長が謀反への加担を疑われて流罪に処され、義盛が助命嘆願を屈辱的な形で退けられると、対立は決定的となった。義盛が挙兵を決意すると常盛も父に従い、和田合戦(1213年)が勃発した。常盛は鎌倉市中で将軍御所や敵の部将を目掛けて激しく戦い、一時は鎌倉御所に迫る勢いを見せた。しかし北条方の援軍が続々と到着し、衆寡敵せず父・義盛と共に討ち死にした。和田一族は滅亡し、侍所別当の地位は北条義時が自ら兼任して掌握した。
人物像
父に従い最後まで戦い抜いた孝行な武将。和田合戦での奮戦ぶりは、和田一族の武勇の証として記録に残されている。
歴史的意義
和田合戦における和田一族の壮絶な戦いは鎌倉の歴史に深く刻まれている。和田塚(鎌倉市由比ヶ浜)は和田一族の戦死の地として今も残る。
逸話・エピソード
和田合戦——一族と共に散った武士の意地
1213年5月、和田義盛は北条義時の権力集中に抵抗して挙兵した(和田合戦)。しかし長年の同僚であった三浦義村に裏切られ、幕府の大軍に包囲された。義盛は壮絶な市街戦の末に討ち死にし、嫡男・常盛ら和田一族の多くも共に倒れた。由比ヶ浜に倒れた一族の慰霊の地「和田塚」は現在も鎌倉に残り、和田一族の悲劇的な最期を今に伝えている。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U