和田義盛の長男として生まれた。父・義盛は源頼朝以来の宿老で初代侍所別当を務め、幕府の軍事を統括する有力御家人であった。常盛は父の下で武将として成長し、各地の合戦にも従軍した。しかし頼朝の死後、北条義時が台頭するにつれ和田氏との摩擦は激化した。1213年、義盛の甥・胤長が謀反への加担を疑われて流罪に処され、義盛が助命嘆願を屈辱的な形で退けられると、対立は決定的となった。義盛が挙兵を決意すると常盛も父に従い、和田合戦(1213年)が勃発した。常盛は鎌倉市中で将軍御所や敵の部将を目掛けて激しく戦い、一時は鎌倉御所に迫る勢いを見せた。しかし北条方の援軍が続々と到着し、衆寡敵せず父・義盛と共に討ち死にした。和田一族は滅亡し、侍所別当の地位は北条義時が自ら兼任して掌握した。