渡辺崋山
渡辺崋山
蛮社の獄に散った田原藩家老・蘭学者
1793-1841 · 享年 48歳
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生涯
三河国田原藩の家老、画家、蘭学者。天保3年(1832年)に家老となると、家格でなく役職に応じて俸禄を定める「格高制」を導入し財政を引き締めた。天保7〜8年(1836〜37年)の天保の大飢饉では、あらかじめ整備した備蓄倉「報民倉」と『凶荒心得書』により田原藩から一人の餓死者も出さず、幕府から表彰されたと伝わる。高野長英ら蘭学者と「尚歯会」を結成して海外情勢を研究したが、天保10年(1839年)の蛮社の獄で国政批判の疑いをかけられ田原で蟄居処分となり、天保12年(1841年)に自刃した。
人物像
画家としての繊細な観察眼と、藩政改革を断行する実務家としての気骨を併せ持った。海外情勢への強い危機感から幕政を憂え、その直言が蛮社の獄を招いたともいわれる。
歴史的意義
田原藩の飢饉対策は幕末屈指の成功例として知られ、田原市には崋山を顕彰する田原市博物館・崋山神社がある。画家としても鷹見泉石像(国宝)などの肖像画で高く評価され、蘭学者としての先見性は後の開国論にもつながったとされる。
さらに深く
家系図
家系の記録は未登録です。
─ 完 ─
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