堺の商人の家に生まれ、千利休に師事して茶の湯を深く学んだ。利休の高弟として頭角を現し、その茶の湯の教えや名物道具の来歴・鑑定を詳細に記録した『山上宗二記』を著した。同書は当時の茶の湯文化を後世に伝える第一級史料として茶道史研究の基礎となっている。直言居士の気性から豊臣秀吉とも臆せず渡り合ったが、1590年の小田原の陣に際して秀吉の怒りを買い、陣中で耳と鼻を削がれた上で斬首されるという壮絶な最期を遂げた。享年46歳。茶人としての矜持と信念を権力者の前でも決して曲げなかった姿は、後世の茶人たちの精神的な範となっている。師・利休が翌年切腹を命じられたことを考えると、師弟ともに権力と正面から衝突した運命に哀れを誘う。