新潟県長岡市出身。海軍兵学校を卒業後、日露戦争の日本海海戦に参加し左手の指2本を失った。その後ハーバード大学に留学してアメリカの国力と工業生産力を熟知し、「米国と戦争すべきでない」との信念を持つようになった。航空主兵論を推進し空母機動部隊の育成に尽力したが、日米開戦には一貫して反対した。しかし連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を立案・指揮し、その後ミッドウェー海戦で大敗を喫した。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」の名言で知られる卓越したリーダーでもあった。1943年4月、視察飛行の情報を傍受した米軍の待ち伏せにより、ブーゲンビル島上空で撃墜され戦死した。享年59歳。開戦に反対しながらも命令に従った矛盾の中に、近代軍人の苦悩と義務感が凝縮されている。その生涯はNHKドラマや映画で繰り返し描かれ、戦争の悲劇を語る象徴的人物となっている。長岡市の山本五十六記念館にはその業績が詳しく展示され、多くの市民が偉大な郷土の英雄の軌跡を学んでいる。