1987年、神戸大学医学部を卒業した山中は整形外科医として国立大阪病院に勤務。しかし他の医師なら20分で終わる手術に2時間かかる自らの不器用さに悩み、同僚に「ジャマナカ(邪魔中)」と揶揄されることもあった。また関節リウマチや脊髄損傷など「治せない患者」への無力感も大きかった。「臨床で救えぬ患者を基礎研究で救おう」と決意し、1989年に大学院に入り直し研究者の道を選んだ。この転進がなければiPS細胞は生まれなかった。
山中は京都大学で「成熟した細胞を胚のような状態に戻せないか」という大胆な問いに挑んでいた。彼のチームは多能性に関わりそうな24個の遺伝子候補を絞り込み、その組み合わせを試した。2006年、ついにOct3/4、Sox2、Klf4、c-Mycというたった4つの遺伝子をマウスの皮膚細胞に導入することで、ES細胞と同様の多能性を持つ細胞(iPS細胞)への初期化に成功した。これまで不可逆と考えられていた細胞分化の方向を逆転させる、生物学の根幹を揺るがす大発見であった。
2012年10月、スウェーデン王立科学アカデミーは、その年のノーベル生理学・医学賞を山中伸弥とジョン・ガードンに授与すると発表。受賞理由は「成熟細胞が初期化されて多能性を獲得することの発見」であった。発表時、山中はちょうど自宅の洗濯機を修理していた最中で、「人生で最高の修理」と後に語った。ノーベル賞後も京都大学CiRA所長として再生医療の実用化に尽力。2014年、加齢黄斑変性患者にiPS細胞由来の網膜細胞を移植する世界初の臨床応用が日本で実施された。