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PERSON
山中伸弥
山中伸弥
iPS細胞開発・ノーベル賞科学者
1962-
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生涯
1962年9月4日、大阪府東大阪市に生まれた。神戸大学医学部卒業後、国立大阪病院で整形外科医として研修。しかし手術の不器用さと「治せない患者」への無力感から基礎研究に転向、大阪市立大学大学院で博士号を取得。米グラッドストーン研究所留学を経て、奈良先端科学技術大学院大学を経て2004年から京都大学。2006年、マウスの体細胞に4つの遺伝子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)を導入することで、胚のように多能性を持つ細胞への「初期化」に成功、誘導多能性幹細胞(iPS細胞)を世界で初めて作り出した。翌2007年にはヒトiPS細胞も作出に成功。この業績により2012年、ジョン・ガードンと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。2010年から2022年、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)初代所長。再生医療の実現に向け研究を主導している。
人物像
謙虚にしてユーモアあふれる科学者。外科医としての挫折から基礎研究者になった経歴を自ら語り、「私はジャマナカ(邪魔中)でした」と学生時代の不器用さを冗談にする人柄。一方でマラソンを完走する粘り強さと、研究テーマに向かう集中力は並外れている。研究倫理、国際的責任感への真摯な姿勢でも知られる。
歴史的意義
iPS細胞は現代医学最大の革新の一つであり、これまで「神の領域」であった細胞の運命転換を可能にした。パーキンソン病・加齢黄斑変性・心筋梗塞・脊髄損傷など、従来治療不可能だった疾患に対する再生医療の道を開いた。日本がiPS細胞研究で世界をリードしている状況は、山中の発見と京大CiRAの組織的研究によるところが大きい。利根川進・本庶佑と並ぶ日本生命科学の頂点であり、21世紀の医学を象徴する人物である。
逸話・エピソード
整形外科医から研究者へ——挫折が導いた道
1987年、神戸大学医学部を卒業した山中は整形外科医として国立大阪病院に勤務。しかし他の医師なら20分で終わる手術に2時間かかる自らの不器用さに悩み、同僚に「ジャマナカ(邪魔中)」と揶揄されることもあった。また関節リウマチや脊髄損傷など「治せない患者」への無力感も大きかった。「臨床で救えぬ患者を基礎研究で救おう」と決意し、1989年に大学院に入り直し研究者の道を選んだ。この転進がなければiPS細胞は生まれなかった。
2006年——4つの遺伝子の奇跡
山中は京都大学で「成熟した細胞を胚のような状態に戻せないか」という大胆な問いに挑んでいた。彼のチームは多能性に関わりそうな24個の遺伝子候補を絞り込み、その組み合わせを試した。2006年、ついにOct3/4、Sox2、Klf4、c-Mycというたった4つの遺伝子をマウスの皮膚細胞に導入することで、ES細胞と同様の多能性を持つ細胞(iPS細胞)への初期化に成功した。これまで不可逆と考えられていた細胞分化の方向を逆転させる、生物学の根幹を揺るがす大発見であった。
2012年ノーベル賞と再生医療への道
2012年10月、スウェーデン王立科学アカデミーは、その年のノーベル生理学・医学賞を山中伸弥とジョン・ガードンに授与すると発表。受賞理由は「成熟細胞が初期化されて多能性を獲得することの発見」であった。発表時、山中はちょうど自宅の洗濯機を修理していた最中で、「人生で最高の修理」と後に語った。ノーベル賞後も京都大学CiRA所長として再生医療の実用化に尽力。2014年、加齢黄斑変性患者にiPS細胞由来の網膜細胞を移植する世界初の臨床応用が日本で実施された。
─ 完 ─
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