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PERSON
山南敬助
山南敬助
新選組総長・副長
1833-1865 · 享年 32歳
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生涯
仙台藩出身の剣士で、天然理心流の免許皆伝を持つ。江戸の試衛館で近藤勇・土方歳三・沖田総司らと剣術修行を共にし、元治元年(1864年)に新選組が正式に組織されると副長・総長に就任した。温厚で学識があり、「新選組の参謀」とも称された。しかし元治2年(1865年)1月に脱走を試み、京都近郊の大津で沖田総司に連れ戻された。局中法度により脱走は死罪となるため、山南は切腹を命じられた。同年2月23日、沖田総司に介錯されて壬生の屯所で切腹した。享年33。その死は幕末を愛するファンにとって特に悲劇的な出来事として語り継がれている。
人物像
温厚で知的な人物として知られ、近藤・土方のような武断的な雰囲気とは異なる柔らかさを持っていた。剣の腕も一流であったが、学識と思慮深さで組織を支えた。
歴史的意義
組織の知的支柱として新選組の発展に貢献した。切腹での最期は武士の本懐として後世に語り継がれ、多くの創作作品に悲劇的な人物として登場する。
逸話・エピソード
山南敬助の切腹——新選組の脱走者に課された掟の代償
山南敬助は1864年に近藤勇・土方歳三とともに新選組の中核となった。しかし組織の方針をめぐる内部対立から、1865年2月に脱走を図った。捕らえられた山南は局中法度(脱走者は切腹)に従い、3月20日に切腹した。介錯は盟友・沖田総司が務めた。山南の切腹は新選組の厳格な規律を示すとともに、組織内の人間的ドラマの深さを物語る出来事として、後の小説・映画・ドラマで繰り返し描かれてきた。享年推定33歳。
ゆかりの地 — 1
前川邸
京都府
山南敬助は元治2年(1865年)2月23日、前川邸において切腹して果てた。脱走を試みたが京都近郊で捕らえられ、局中法度に従い死を選んだ。沖田総司が介錯を務めた。
─ 完 ─
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